2016年9月13日火曜日

誰もが無意識にバランスを取っている。

 心の制御装置が完全にメルトダウンした2013年の年明けは、3時間おきに怒りの矛先を見つけては激怒していた気がする。
 たいてい夜中は何かにキレていた。深夜、友達や先輩や世の中への憎悪をSNSとかに書き続けていた。楽しくはなかった。でもやめられなかった。
 目は釣り上がり、顔つきは険しくなった。自傷行為はしなかったけど髪の色をプラチナに抜いたり、ものすごく短く切ったり、くるくる変えていた。全部風呂場で夜中に自分でやるので、ひどいことになっていたと思う。すべて思いつきなので、自分のために綺麗になろうとか、そんなことを考えて髪の色を決めていたわけではないのだ。とにかくスッキリしたい、それだけが動機だった。

 まだ自分が「双極性障害」という病気になったことを知らない頃だ。それでも、「なんかおかしい、こんなに怒りにとらわれるのはなんか変だ」とは感じていて、「怒りをコントロールする方法」みたいなハウツー本を買っては何度も繰り返し音読したりしていた。
 活動できるときは怒りにエネルギーが吸われ、「家事」そのものに関心が向くことは少なくなっていった。
 2013年春になると、掃除や洗濯をすることも自力ではできなくなり、怒りという感情に身体を完全に憑依された私は、ついに寝たきりになった。見かねた友人が自宅に毎週何度か来てくれて、ペットボトルやコンビニ弁当のカラを捨ててくれたり猫のトイレの掃除をしてくれたりしていたため、激しく散らかることはなかったが、それでも部屋の空気の淀みをどうすることもできなかった。友達が帰ってひとりになると、ベッドの上で延々と猟奇殺人のウィキペディアやネットのまとめを読み込んでいた。突然殺される無辜の人たちに自分を重ね合わせるとなぜか、ホッとしたのだ。

 2014年夏には仕事に復帰していたが、帰宅後はやはりベッドでずっと横になっていることが多かった。2015年の春頃から、仕事が忙しくなった友達がしばらく来られなくなったのだが、私にとって友達の来ない数ヶ月はあっという間なので(寝たきりとか引きこもっている時期ってなぜあんなに時間がたつのが速いのだろう)、家が散らかってきているなんて思いもよらなかった。

 我に返ったのは、夏の終わりのある朝のことだ。ふと身体をベッドから起こして、明け方の光に浮かび上がる部屋を見たのだ。いつもとたいして変わらないつもりのリビングルームが、ふと、初めて家に上がった他人の目線で見たような感覚になった。
「ゴミ屋敷じゃん」。

 ねこがその辺じゅうを荒らしていた。洗濯物は何ヶ月も積んだままだ。冷蔵庫は壊れたまま1年以上が経過して中に何が入っているかすらよく覚えていなかった。

 
片付けてみようか。そう思ったのは福島の親方のことばを思い出したからだ。
「オレいま、除染で双葉郡片付けて回ってるんだけど、あのへんで評判だった引きこもりの奴らって、みんな家の中おんなじだな。ゴミ屋敷。コンビニ弁当の山は腐ってるし、散らばった漫画本が湿って床板が腐って抜けてるし、飲みかけのペットボトルの中はマリモみたいなのがいるしな。お前も病気だから、家んなかゴミ屋敷だろ」

心を病んでいる人は部屋が汚い。部屋が汚いから心を病むのか、心を病むから片付けられないのか、どっちが先かはわからないが、心がすぐには治らないなら、部屋を片付けてみようかとなぜか思い立ったのだ。
それからは収納にしまいこんでいた死蔵したものたちを、大きなテーブルや廊下にだしてきて、躊躇なく何でも捨てた。




明らかな不要物は2週間ほどで片付いた。
本棚や本をずっと捨てたかったし、服もいらなかったし、壊れた冷蔵庫は当然買い換えたかった。しかしそれが一年以上できないままだったのだ。
分別をできるぐらいならゴミ屋敷にはなっていない、と開き直り、ゴミの分別は諦めて、ネットで知った「軽トラ積み放題」プランを申し込んだ。8000円で未分別のゴミを軽トラの荷台に乗るだけ積んで持って行ってくれるという話だったが、私の場合本棚が5本、冷蔵庫ひとつなど、大きいゴミが多かったためか、最終的に3万円近くかかった。それでも、自力で分別することを考えたら、お金を払ってよかったと思う。

明らかな不要物がなくなったあとから、本当の「断捨離」が始まるのだと知ったのも、実際にものを捨て始めてからのことだ。
不要物がなくなると、これまでは「保留」にしていたものを捨てるか残すかの選択が始まる。それがとてもむずかしい。
結局私が、家の中の不要物すべてを捨て切ったと感じたのは片付け始めてから3ヶ月後、昨年12月はじめ頃のことだ。

それから今まで、家はあまり散らかっていない。いつも大体同じような状態を保っている。ものがないので、散らかりようがないのだ。
それに物を捨てるとき、痛いのだ。罪悪感みたいな、何かを感じる。よく考えたらこの部屋にあるものはぜんぶ自分が「引き寄せた」ものだからだ。
断捨離のおわったあとは、なるべく捨てる痛みを感じたくないので、物を家に入れる際には「これは本当に必要なのか?」と、以前よりは考えるようになった。
ただ、部屋があまりに殺風景になったので大きめの観葉植物を部屋においた。
それから私は植物の世話が楽しくなった。



キッチンも作業がしやすくなり、ゴミ屋敷だった頃は自炊ができなかったが今は用事がなければ毎日何か自分で簡単な食事を作るようになった。
このキッチンは自分で設計したので好きな場所だったんだ、と綺麗になったキッチンを見て思い出した。









寝室にもものがなくて、眠るときに服をどかしたり、不潔なシーツを我慢して使ったりすることはなくなった。



余談だが痩せた。



親方が喝破したとおり、部屋と心の状態は直結していると思う。実際、よく、部屋を片付けると心が安定してうつ傾向だったのが改善した、という話を聞いたりする。これは事実だと自分自身の経験を通して感じる。
今日、友達と話していた時に、なぜ掃除をすると心が整うのか、それだけではなく痩せたりお肌の調子が良くなったりするのかということの理由がわかった。

友達は今年からダイエットを始めて20キロぐらい痩せたのだそうだ。
そして、痩せてみたら次の課題として長年悩んでいた「怒りグセ」を治したいと強く思うようになったのだそうだ。
かつて私が苦しんでいた怒りの感情と向き合っている彼に、私はこれまで読んで参考にした本や試した方法などを伝えたり、自分の体験を話したりした。
最近割と彼と話し合うことが多いのだが、今朝メッセンジャーで、昨日紹介した本についての感想を話し合っている時に、彼はこんなことを言っていた。

「怒りグセをどうにかしたいと思った理由のひとつに、身体が健康体に近づいたっていうことがあると思う。体の健康さと心の不健康さの釣り合いがとれなくなったのかもしれない。以前は身体も不健康なら心も不健康だったから、バランスが取れていたんじゃないかなあ」

 荒れた部屋に住んでいても心が健やかだという人もいるかもしれない。全てに例外はあるので一概には言えない。だが私の場合、写真を見てもらっても分かる通り、まともな感覚の持ち主が住むような雰囲気の部屋にはいなかったということだ。
そしてこの部屋をまず健全な、綺麗な状態に戻していくことで、心も部屋のコンディションにつられて、健やかな状態にバランスしていったのでないかなというのが、彼の話を聞いて考えたことだ。また、自分にとって不健康で不適切な状態の体型が、周囲の環境が改善していくにつれて健やかな状態に戻るから、体重が減って痩せたのではないかということも考えた。

 心を先に整えるのはとても難しい。だが部屋はどんな豪邸に住んでいても数ヶ月あれば片付く。そこから心の持ちようが変わる。断捨離やそうじが心に良いというのは、人は良い環境でも悪い環境でも、そこでバランスを保とうとするというそんな作用を利用しているということなんじゃないかなと思った。
 相関関係はわからないけれど、私は精神科から処方された薬をもう飲んでいない。飲まなくなったのは部屋が片付いてきた頃からだ。